賃貸の退去費用を払いすぎない——原状回復ガイドラインの使い方
賃貸物件を退去するとき、立会いのあとに提示される請求書の金額に驚いた経験を持つ人は少なくありません。壁紙の全面張り替え、床の補修、ハウスクリーニング。合計すると10万円を超えることもあります。
この金額が妥当かどうかを判断する基準は、実は公開されています。国土交通省が示している原状回復のガイドラインです。
原状回復は「入居時の状態に戻すこと」ではありません。経年変化と通常の使用による損耗の修繕費用は賃料に含まれており、貸主の負担というのが国土交通省ガイドラインの原則です。
原状回復の定義は法律用語とずれている
日常語の「原状回復」と、賃貸契約における原状回復は意味が違います。この差がトラブルの出発点になります。
国土交通省のガイドラインでは、原状回復を「賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること」と定義しています。そして、いわゆる経年変化や通常の使用による損耗等の修繕費用は賃料に含まれるものとされています※1。
つまり、住んでいれば当然に生じる劣化の分の費用は、毎月の家賃としてすでに支払っている、という整理です。退去時にもう一度請求されるとすれば二重取りになる、というのがこの原則の考え方です。
このガイドラインは平成10年に策定され、平成16年と平成23年に改訂されています。強制力のある法令ではありませんが、原状回復の一般的な考え方を示すものとして、実務や紛争解決の場で参照されています。
貸主負担と借主負担の分かれ目
判断の軸は「通常の住まい方をしていても発生するかどうか」です。発生するものは貸主負担、住まい方しだいで発生したりしなかったりするものが借主負担になります。
ガイドラインはこの考え方に沿って、損耗を区分しています。日常的な使用で必ず生じるものと、使い方の問題で生じたものを分ける、という発想です。
| 状態 | 一般的な区分 |
|---|---|
| 家具の設置による床のへこみ | 貸主負担(通常の使用) |
| 日照による壁紙・畳の変色 | 貸主負担(経年変化) |
| テレビ・冷蔵庫の裏の電気ヤケ | 貸主負担(通常の使用) |
| 画鋲・ピンの穴(下地に達しない) | 貸主負担とされることが多い |
| 引っ越し作業でつけた床の傷 | 借主負担(過失) |
| 結露を放置して発生したカビ・シミ | 借主負担(善管注意義務違反) |
| ペットによる柱の傷・臭い | 借主負担(通常の使用を超える) |
| 掃除を怠ったことによる油汚れ・水垢 | 借主負担(清掃義務) |
区別のポイントは、傷そのものの大きさではありません。「普通に暮らしていたら起きるか」という一点です。冷蔵庫の裏が黒ずむのは普通に暮らせば起きます。結露を数か月放置してカビが広がるのは、対処しなかったことによる損耗と評価されます。
経過年数で借主の負担は小さくなる
同じ損耗でも、住んだ年数が長いほど借主の負担割合は下がります。設備には価値の減少があり、古くなった設備を新品同様にする費用まで借主が負う理由はない、という考え方です。
ガイドラインでは、建物や設備の経過年数を考慮し、年数が多いほど借主の負担割合を減少させる方式が採られています※1。たとえば入居から年数が経った部屋の壁紙について、借主が張り替え費用の全額を負担するのは、この考え方と整合しません。
請求書を確認するときは、次の3点を見ると判断しやすくなります。
- 区分を確認する——請求されている項目が、通常損耗にあたるのか、通常の使用を超える損耗にあたるのかを仕分けます
- 経過年数の反映を確認する——借主負担とされた項目について、入居年数に応じた減価が考慮されているかを見ます
- 範囲を確認する——傷が一部分なのに部屋全体の張り替えを請求されていないか、施工の単位を確認します
契約書の特約はどこまで有効か
「退去時のハウスクリーニング費用は借主負担とする」といった特約は、実際の契約書によく登場します。特約があるだけで直ちに無効ではありませんが、無条件に有効でもありません。
ガイドラインは、通常損耗を借主の負担とする特約について、特約の必要性と客観的・合理的理由が存在すること、借主が特約によって通常の原状回復義務を超えた義務を負うことを認識していること、借主が特約による義務負担の意思表示をしていることを要件として挙げています。
したがって、実務上有効なのは入居前です。契約前に見積もりの根拠と金額の範囲を確認し、不明確な部分は説明を求めておく。退去時に交渉するより、この段階のほうがはるかに動かしやすくなります。契約書と入居時の写真は、退去まで保管しておくと状況の説明に使えます。
まとめ
退去費用の請求が妥当かどうかは、感覚ではなく区分で判断できます。通常の使用と経年変化による損耗は貸主負担、通常の使用を超える損耗が借主負担。そして借主負担の分も、住んだ年数に応じて負担割合は下がります。
請求書を受け取ったら、項目ごとにこの区分を当てはめ、経過年数が反映されているかを確認してください。ガイドラインは公開されているので、話し合いの場では「ガイドラインではこう整理されている」という形で参照できます。入居時の写真を残しておけば、そのやり取りはさらに具体的になります。
参考文献・出典
※1 : 「「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」について」 |国土交通省
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html
※2 : 「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」 |国土交通省住宅局
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/torikumi/honbun2.pdf
※3 : 「「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」に関する参考資料」 |国土交通省住宅局参事官
https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/content/001611293.pdf