暮らし・インテリア | | 田中 舞 | 6分で読める

賃貸の原状回復トラブル、なぜ毎年10万件を超えるのか

賃貸の原状回復トラブル、なぜ毎年10万件を超えるのか

賃貸住宅から退去する際、敷金の返還をめぐって貸主(家主・管理会社)と借主(入居者)の間でトラブルが発生するケースは後を絶ちません。国民生活センターに寄せられる賃貸住宅の退去時トラブルに関する相談件数は、長年にわたって高い水準を維持しています。

トラブルが繰り返される背景には、「原状回復」という概念の解釈のずれがあります。何を修繕する義務があり、何は修繕不要なのか——この基本を入居前から理解しておくことが、退去時の不要なトラブルを避ける第一歩です。

原状回復トラブルが毎年繰り返されるのはなぜか?

「原状回復」という言葉の解釈のずれと、入居者が自分の権利を把握していないことが、トラブルが構造的に繰り返される2つの主な原因です。

「原状回復」の誤解——「元通り」ではない

2026年現在、国民生活センターへの賃貸住宅退去時のトラブルに関する相談は、消費生活相談の上位に位置するカテゴリです※2。「退去時の費用が高すぎる」「敷金が返ってこない」「クリーニング費用の全額を請求された」という相談が繰り返し寄せられています。

「入居時と同じ状態に戻す」と文字通りに解釈すると、通常の生活で生じた劣化もすべて借主負担になるように見えます。しかし実際の法的解釈は異なります。

若い世代ほど不当請求を受け入れやすい

もうひとつの理由は、入居者の多くが自分の権利を把握していないことです。筆者自身、大学進学時に初めての一人暮らしで退去した際、壁紙の張り替え費用として8万円を請求されました。当時はガイドラインの存在を知らず、言われるままに支払いましたが、後に調べてみると通常損耗に該当する内容が大半でした。この経験が、原状回復の仕組みを調べるきっかけになっています。

国土交通省ガイドラインで借主が負担する範囲とは?

借主が負担するのは「故意・過失・善管注意義務違反」による損傷のみで、通常の生活で生じる経年劣化・通常損耗は貸主負担が原則です。

原状回復
賃貸住宅を退去する際に、借主が部屋を元の状態に戻す義務のこと。ただし、国土交通省のガイドラインでは「賃借人の故意・過失・善管注意義務違反、その他通常の使用方法を超えるような使用による損耗等を復旧すること」と定義されており、通常の使用による劣化は含まれない。
通常損耗・経年劣化
日常の生活を送る中で自然に生じる建材や設備の傷み、時間の経過による変化。画鋲の穴、日光による壁紙の変色、設備の自然な老朽化などが該当し、これらの修繕費は原則として貸主の負担とされる。

貸主負担 vs 借主負担の比較

項目貸主負担(通常損耗・経年劣化)借主負担(故意・過失)
壁の画鋲穴○ 貸主負担
壁紙の日焼け・変色○ 貸主負担
設備の自然な老朽化○ 貸主負担
結露(適切に換気した場合)○ 貸主負担
たばこのヤニ・臭い○ 借主負担
ペットによる傷・臭い○ 借主負担
飲み物こぼし放置の染み○ 借主負担
故意による壁の穴○ 借主負担
清掃放置による汚れ蓄積○ 借主負担

2020年民法改正で敷金ルールが明文化

法務省の民法改正(2020年4月施行)により、それまで判例や慣習に依存していた敷金と原状回復に関するルールが民法に明文化されました※3。

敷金
賃貸借契約時に借主が貸主に預ける保証金。退去時に通常損耗を超える損傷がなければ、全額または大部分が返還されるべきものであり、2020年施行の民法では「賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき」に返還義務が発生することが明記された。

改正民法では、貸主が敷金から控除できるのは「賃借人の債務」に限られること、退去後の返還義務が明確化されたことなどが整理されました。ただし、法律が変わっても実際の交渉の場では貸主側が強い立場になりやすく、ガイドラインや法律を知らない入居者が不当な請求を受け入れてしまうケースは依然として発生しています。

退去トラブルを防ぐためのステップは?

入居時の記録から退去時の立会いまで、段階的に準備することで不要な費用負担を避けられます。

ステップ1:入居時に部屋の状態を記録する

すべての部屋、壁、床、設備の状態を写真・動画で撮影し、既存の傷や汚れを「入居前確認書」に記載して管理会社に提出します。日付入りの記録が証拠として機能します。不動産関係者に聞いたところ、「入居時の写真があるかないかで、退去時の交渉結果が大きく変わる」とのことでした。

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ステップ2:退去前に契約書と部屋の状態を確認する

  • 入居時との差分を自分でチェックし、故意・過失による傷がないか確認する
  • ハウスクリーニング費用の特約が契約書に含まれているか確認する(特約があれば借主負担になる場合がある)

ステップ3:退去立会いでの注意点を押さえる

  • 立会い時に提示される修繕費の根拠を確認し、ガイドラインと照らし合わせる
  • その場でのサインを急かされても、内容を確認するまで保留にする
  • 修繕箇所の写真を撮り、請求明細を書面で受け取る

ステップ4:納得できない場合は相談窓口を使う

原状回復の費用請求に納得できない場合は、各都道府県の消費生活センターや国民生活センター(局番なし188)へ相談できます。相談は無料で、専門の相談員が対応します。

賃貸借契約書・入退去時の状態確認書・請求書・修繕内容の明細・入居時に撮影した写真などを準備しておくと、状況の整理が進みやすくなります。交渉が難航する場合は、少額訴訟(60万円以下であれば簡易裁判所で利用可能)という選択肢もあります。

まとめ

賃貸退去時の原状回復トラブルは、「通常の使用による劣化は借主負担ではない」というガイドラインの基本を知らないことで発生するケースが多数あります。国土交通省のガイドラインと2020年施行の民法改正を理解し、入居時から写真記録を取っておくことが最も有効な予防策です。退去時に不当な請求を受けた場合は、サインを保留にして消費生活センターに相談することをおすすめします。

参考文献・出典

※1 国土交通省「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」 https://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_tk3_000020.html

※2 国民生活センター「賃貸住宅の退去時のトラブルに注意!」 https://www.kokusen.go.jp/soudan_now/data/chintai.html

※3 法務省「民法の一部を改正する法律(債権法改正)の概要」 https://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_001070000.html

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よくある質問

退去時に敷金が全額返ってこないのは普通ですか?

通常の使用による劣化(通常損耗・経年劣化)の修繕費は、本来は家賃に含まれるコストとして貸主が負担するものです。国土交通省のガイドラインでは、借主が負担するのは「故意・過失・善管注意義務違反」による損傷に限られます。画鋲の穴、日焼けによる変色、自然な経年劣化は借主負担になりません。

原状回復トラブルを防ぐために入居時にできることはありますか?

入居時に部屋の状態を写真・動画で記録し、傷や汚れを入居前確認書に記載しておくことが最も重要です。既存の傷や汚れが記録されていれば、退去時に「入居前からあった傷」であることを証明できます。記録は日付入りで保管し、管理会社や貸主への送付・メール連絡も残しておくと、後のトラブルに備えられます。

退去時の立会いで「サインしてほしい」と言われたら?

その場ですぐにサインする必要はありません。請求内容に納得できない場合は、「内容を確認してから回答します」と伝え、持ち帰ることが可能です。サインした書面は合意の証拠になるため、内容を十分に確認する前にサインしないことが重要です。不明な点は国民生活センターや消費生活センターに相談できます。